TARO chez nous
「吉奈温泉は、静かだ。四季の情感に溢れており、ここに来ると心が和む。私は、いそがしい中に何とか暇をつくっては、さか屋にいき、時間の赦す限りのんびりと過ごしてくる。
何も考えずに、豊富な湯につかり、この土地の山菜を盛り合わせた伝統の料理を食べ、足の向く儘に散歩する。深い青い空と、見事な自然の色合い、爽やかなせせらぎが、時間を忘れさせてくれる。吉奈温泉の素朴な環境を、私は大事にしたい。」
岡本太郎
館内にあるリトグラフ、絵画などの作品は、岡本太郎氏の好意により譲り受けたもの。
1970年代にパリで開催された個展より直接当館まで送られました。
尚、当館の廊下 には、この他多くの著名人の作品や色紙が飾られています。まさにこの「画廊」を、作品を探しながら歩くのも一興と思われます。
太郎さんとさか屋の出会い
先代のさか屋主人はもともと絵画や芸術が好きでした。
主人の旧制中学同級生の俳画家森山三郎氏とは特に仲が良く、長く逗留しては絵を描いているという、昔ながらのパトロン(後援者)をしていました。
森山氏は岡本一平氏(漫画家・俳画家・岡本太郎氏の実父)の弟子だったのですが、昭和二十九年三島で行われたアヴァンギャルドに関する講演会に出席した岡本太郎氏を、森山氏がさか屋に連れて見えたことがありました。その際当館主人と意気投合、長くおつきあいするきっかけとなったのです。
さか屋での太郎さん
さか屋主人は商売上手というよりマイペースな性格だったので、太郎さんは友人として頻繁にさか屋を訪れ、度々さか屋で制作もしました。
スタッフと喧々囂々の制作会議のさなかに、庭からひょっこりさか屋主人が「これ美味しいよ」などと言いつつ、みかんやお菓子をもって現れる。すると太郎さんはこれ幸いと仕事を放り出して主人と話し始めてしまう。
こんなことがよくあるので、先代主人はチームの方にとってはあまりありがたくない存在だったかもしれません。
当館には残っておりませんが、川崎の「岡本太郎美術館」の資料室には「さか屋にて制作中」という写真が沢山あるようです。
大阪万国博覧会の「太陽の塔」制作の打ち上げ会もさか屋で行われました。
太郎さんが愛した吉奈
太郎さんは何よりさか屋から眺める吉奈の自然を大変気に入っていました。
普段あれほど情熱的な激しい作品群を作る太郎さんですから、反対に素朴で何でもないおだやかな山里の風景に、心癒されるのでしょうか。
時間があれば散歩に出かけておいででした。太郎さんはこの吉奈に、日本人の原風景と静かな情熱を感じていたのかもしれません。
太郎さんを始め、吉奈を愛してくださる多くの方々の為にも、私たちは今も、この土地に他資本が入らずに、環境を守り抜くことを命題にしています。
現在も太郎さんを応援する「太郎の会」があり、多くの方が集まります。
養女である岡本敏子さんもよくさか屋においでになり、太郎さんのお好きだった料理を召し上がりながら、太郎さんのことをお話しになります。亡くなってもなお、多くの人々を引きつける太郎さん。やはりすごい方でした。
不思議と直接彼に関わった人は岡本先生でも太郎先生でもなく、みんな「太郎さん」と呼ばれます。
「芸術」を普通 の人々にまで浸透させた「天才」が、こんなに気さくに呼ばれているなんて、やはり普通 ではないことでしょう。
2005年春、太郎さんをパワフルに支え続けた岡本敏子さんが亡くなりました。あのにぎやかなお声が聞けなくなったのは大変残念ですが、天国で心から愛した太郎さんとまたご一緒なのだと思います。
さか屋の「太郎さん風呂」
3階にある「太郎さん風呂」は太郎さんがデザイン・設計したものです。
太郎さんの得意とする曲線の美しさで、女性が座った跡を表現したものと言われます。
浅い段差にゆっくりと腰掛けながら湯浴みができ、身体の線にちょうど良く合う心地よさが実現されています。
アクセントに作品「座ることを拒否する椅子」を浴室内に配しました。これらは以前酔ったお客様に傷つけられてしまったので、ちょっとひび割れています。
実は作成当初、湯船の底の中心になだらかな丘が存在したのですが、お客様に危ないからと言う理由で、昭和50年代に取り除いてしまいました。その時は太郎さんにとても怒られたようです。今思えば、苦情があったから変えるのではなく「合理的でないことこそ芸術なんだ」と胸を張るべきでした。近い将来もとのように復元できたらと考えています。
太郎さんの好物と「名物大名焼」の誕生
太郎さんが吉奈でお好きだったものは何でしょう?青春時代をフランスで過ごされた太郎さんにとって、日本のジビエ料理(野生料理)ならやはりイノシシだろうと、天城の名物「いのしし鍋」などを赤ワインとよく一緒に召し上がりました。
ある日、庭のあずまやで猪肉と天城野菜を炭火で焼き、ポン酢で召し上がったのがとても気に入られて、これもお客様に出してみたらという話になりました。
先代が「じゃあ名前はどうしましょうね?お狩り場焼きとか?」と聞くと太郎さんは「いや、さか屋は大名に縁のある宿なんだから『大名焼』だよ」とさか屋名物の「大名焼」が誕生したのです。ここで調子が出てきた太郎さんは、ちょんまげとかみしもの衣装を考え、かみしもと前掛けに入れる「大名焼」のロゴも書いてくれました。
ちょんまげ姿で楽しく盛り上がるお食事は、衣装からお城の形の食器や鉄板など細部にもこだわった、さか屋40年来の人気料理になったのです。太郎さんのように赤ワインと一緒に召し上がってみるのもおすすめです。