岡本太郎さんとのおつきあい・・・祖父の話
岡本太郎さんとさか屋は昭和28年からのお付き合いでした。
岡本太郎さんとの関係を話すなら、我が祖父の話をしなくちゃなりません(笑)。
↓ 中央が岡本太郎氏・左端が祖父
当館前代当主はけっこう変わり者で有名でした。戦後の農地改革で所有の田畑はほぼ取り上げられてしまいましたが、わさび田や山林は残ったそうです。日本が欧米化していく中で、特に海外旅行大好きで、しょっちゅう出かけていたとか。アメリカとかヨーロッパぐらいなら良いのですが、あの時代にアフリカが大好き。旧館はなれに洋式トイレと内風呂が合体した部屋があるのですが、それは洋行帰りの祖父が海外のホテルを見て作らせたのです。バスルームってゆうヤツですね。
初めての内孫である私も大変かわいがられましたが、小さいときは父母を「パパ・ママ」でなく「ダディ・マミィ」と呼ぶことを強いられてました(笑)。祖父が日常的に英語を挟みたがったのです。「出産祝い」といって子供用エンサイクロペディア(もちろん英語版)を勝手に発注し支払いは母がしたり、英語の絵本を大量に買ってきたり。高度成長期の良い時代でしたので、やりたい放題です。本人が海外で苦労したから、将来の語学の大切さが身にしみたんでしょう。幼い私達に向かってわざと英語で話しかけたりしてました。おかげさまで兄弟達は得意科目でしたし、私はポンコツ英語ながら意思疎通できるぐらいにはなりました。
遠縁で大阪フィルの主席フルーティスト野津臣貴博さんも「さか屋のお祖父さんはホント変な人だった。あの人コワかったけど、さか屋にいくと面白いものがいっぱいで、大好きだったんだよね〜」と、よくおっしゃいます。やはり本物の才能溢れている方には大人気の変わり者の祖父・真一。
あんまり働いているところは聞いたことないけど、カリスマ性のある人だったのかしら?まぁ、岡本太郎さんと対等にお付き合いできるぐらいだから、変わり者でない訳はないですね。
野津臣貴博さんはこんな感じの人ですヒロノミンVさんのブログより
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