植木等さん逝く・・・さか屋と【新・喜びも悲しみも幾歳月】
昭和の名優・植木等さんが亡くなりました。クレイジーキャッツや彼の楽曲は本当にインパクトがあり、現代においても全く色あせず、むしろ時代の最先端を行く人々に今も影響し続けていますよね。私もあらためて聴いてみてなんてスゴイ歌なんだろう!と感動さえしますもの。
植木さんの俳優としてのキャリアで大きなものは【新・喜びも悲しみも幾歳月】1986年で、キネマ旬報助演男優賞、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日コンクール助演男優賞を受賞されました。実はこの映画と御宿さか屋はご縁があるんです。
植木等さんの「スーダラ節」等の作詞は、先日急逝された青島幸男さんですが、青島さんが御宿さか屋と懇意な間柄であったことは以前ここでも書きました。
実はそれだけではなく【新・喜びも悲しみも幾歳月】の木下恵介監督は、やはり熱烈な御宿さか屋の常連様だったのです。御宿さか屋の仲居を大変気に入り、とうとうご自分の映画にまで出演させてしまったほど。それがなんと植木さんが数々の賞を受けられた映画なのです。勉強不足で私はその映画をまだ見たことがありませんが、御宿さか屋の仲居がまさに仲居役で出演しています。木下監督は「どうしても本物の仲居の雰囲気を出したいんだ」と仰り当館主人に頼み込まれたのでした。
その撮影は今は無き大船撮影所で行われ、吉奈の田舎から呼び寄せられたきくえさん(仲居の名前)は「さすが本物!並居る出演者の中で、まさに一度のNGもなく、堂々と仲居役をこなしてたよ」と後日木下監督より当館主人にお電話頂いたとか。
今にして思えばなんと豪胆な話、素人を映画に出しちゃうんですから。でも昔の仲居は本当に「プロ」でしたから、そういうこともアリかも。
日々のニュースの中でも、思いがけないところが関わってたりするものですね。長いさか屋の歴史の中で、こんなこぼれ話はなんとまぁ多いことか。私も覚えきれないので少しずつ書き留めていかなくては。
青島さんの時も思いましたが「明治も遠くなりにけり」じゃなくて「昭和も遠くになっちゃうのかしら…」という感じです。植木等さんのご冥福をお祈りいたします。